あらかじめ言っとくけど私まだBLACKLAGOON読んでない。でも読みたいと思ってる時が一番妄想発揮されるので妄想メモ。
パッと聞く限り、主人公は言峰綺礼っぽい香り。言峰綺礼的人間観を通じた「奈須きのこ-虚淵-BLACKLAGOON」ラインで何か考えると面白そうだ。
ttp://d.hatena.ne.jp/ARR/20091103/1257262387
「正しさ」は過程によって担保され、一方で結果によって証明される。ガルシアたちにとっては、「正しくない」過程によってもたらされた結果は、求めていたものであっても肯定できるものではなく、ロックにとっては、望んだ形でない結果をもたらす過程にはなんの意味もない、と。この差は、最終的なガルシアたちの怒りを説明するのにとても適切
これについて私のブコメ。これは現在自分の唯一の手持ち情報BLACKLAGOONの8巻巻末の対談をベースにした考え方。
つまりロックは「男の美学」のカウンター的ポジションか。当然のごとく男の美学が蔓延するこの町で、日本出身の、つまり女社会出身者がどうかき回すかという。結末は知らんがつまり日本サラリーマン最強なのは、日本が女性社会だったからなんだよ!な、なんだってー的な展開が理想。
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しかしそう考えると、引用部分なんか読む限りロックは「中途半端」っぽい感じ。(何度も言うけどまだ読んでない)「自分が手にする結果」による価値の証明を求める人間はまだまだ「自己満足」を主張するには弱すぎる。むしろ自己満足の逆だそれは。報酬を「他者の結果」に求めてる。
ロックの行動理念「自己満足」は善悪を超越した概念まで到達できるかどうかは、本当の意味での決断主義とやらは、自己完結できてなければいけない。完全に自己の間で閉じてなければ言峰綺礼くんの領域ではない。あれか、個人ではなくて相棒がいるのがいけないんだろうなきっと。あくまでも手足でなければいけない。それ以上のものであってはいけないはずなのだが。
そう考えると別物か。どちらかというと、「戯言シリーズ」の「策士」こと萩原に近いのかもしれない。うーむそれだとすると非常に残念ではある。
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言峰綺礼の話に戻すと、もともと言峰綺礼の空虚さ、つまり「価値・信念の喪失」って、fateにおいて表現される最強の「日本のオタク病」。中二病なんてごっこ遊びに過ぎないほどの重症。妻に関するエピソードなんか、どう考えても二次元嫁に対する葛藤そのまんまだし。シロウ君の「借り物の理想」についての悩みは、どっちかというと一昔前の香りがする。まぁ「正義の味方病」とを併発してるから実際は結構重症ではあるものの、理解はしやすい。少なくとも付き合っていくことは可能。
言峰綺礼のは絶対に理解されない。現状対処の仕方が存在しない病。むしろ理解しようとしてくれる相手、理解のきっかけになるものを真っ先に殺す。唯一のコミュニケーションの可能性が殺すことにしか存在しない。その手の異常。だからこそ恐れられる。排除される。そこまで来てこそ初めて文学で取り扱う価値がある病。(それ以外は、ただの再現か説明にすぎない。いや面白ければいいというかそっちの方が面白いけれど)。一般論で理解できるものは、どうこうすべきなんて語れるものは大したことない。本人以外は。
私は言峰綺礼の病気はかなり好きで、彼に自分を投影するきらいがあるので、こういう人間が気持ちよく生きる道、いや苦しんでもいいから自分を承認できる道があるならば知りたいと思ってたりする。
つまり「自分には何もよって立つところがないことを自覚」したうえで「選択」が可能か。あるいは選択が不可能ならば、それをどうやって受け入れればいいのかってことで。カレンや言峰綺礼みたいに、ギリギリまで「役割」に自分を押し込めるのではなく、自分で選べる道があるか。そこが知りたい。
ちゅーわけで、言峰綺礼側を主人公に持ってこれる作品があるならば、それはぜひ読んでみたいと思っていたわけで、BLACK LAGOONがそういう作品なのであればとてもうれしい。あーでも、これ私が尊敬するペトロニウスさんとかは大嫌いっぽいなぁ・・・。
まぁなにはともあれ、読んでみないことには。読んでみて面白かったらFC2BLOG側でなんか書けそう。
ttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/486025a3ddb9891c323e7c71a0fc168f
霞ヶ関の人々に政策を実行させるときは重要で、彼らには「自分たちは民間より頭がいい」と思い込むバイアスがあるので、「民間を指導して産業を振興する」政策が好まれる。
効率性には関心がなく、公平性に強いこだわりをもつ。これは実験経済学でも世界的に広く観察される結果で、政治家にはこのバイアスがもっとも強い。だから雇用問題にしても不況対策にしても、「人的資本の配分効率化」や「潜在成長率の向上」などといってもだめで、同じことでも「不公平の是正」や「老後の安心」といったわかりやすい言葉で説得しないと、経済学者の合理的な提案は一人相撲に終わるだろう。
うそみたいだ・・・池田先生の発言なんだぜ、これ。
ttp://www.cyzo.com/2009/11/post_3086.html
★就活をしていたときの私は、巨大なゲーム制作会社に願書というボールを送り、採用というボールを返してほしいと思っていた。箔のつく肩書きが欲しかったんでしょう。ボールは届きませんでした。投げる方向が違っていた。ほんとうはユーザーに向かって投げるべきだったんです。ゲーム制作会社に認めてほしいという甘ったれた考えで、ボールが届くはずがない。本当にゲームを作りたいやつは願書を書く前に、自分でゲームを作っていますよ。会社に入るのは就職であって、それが即ち創作ではない。当時の私は自分のゲームを他人に作ってもらおうと、頼る気持ちがあった。例のゲーム制作会社さんには感謝しています。そんな男を採らないでくれて本当によかった!
ttp://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20091101/p1
相手の身体を押し返すには、相手の重心をしっかり捕まえなければならない。情動シミュレーションによって、相手の情動までしっかりと把握するからこそ、相手の情動に逆らって思考する、すなわち、「ちゃんと思考する」ことができるようになる
ttp://labaq.com/archives/51257379.html
1. 上司はいつも正しい。 2. 上司が間違っていると思ったらルール1を見よ。
6. 上司が生産性の向上について語り始めたら、そこに自分たちのことは含まれていない。
3. 仕事が増える人がいる一方で、それとは別に給与が増えたり、昇進したり、元気になるやつがいる。
10. ひどい状況に耐えれば耐えるほど、さらにひどい状態がやってくる。
20. 最後に辞める人、解雇される人が、トラブルのすべての責任を引き受けなくてはいけない。
4. Ph.D(博士号)は、Pull Him Down(引きずり落とせ)の略である。頭が良ければ良い人ほど、勤勉であればある人ほど熱心に仕事をし、その人を熱心に引きずり落とそうとする輩が多い。
8. 背中をポンポンと叩く(フレンドリー)のと、ケツを蹴られる(敵意)のは数センチの差だ。
13. 規則を守れば仕事が終わるとは限らない。
14. 最後の土壇場にならないと仕事は終わらない。
15. ほとんどの書類は「その他」に入っている。
16. どれだけの量をやっても、十分すぎることはない。
5. デキるやつなら、ほとんどの仕事を引き受けるべきで、さらにデキるやつなら、そこから抜け出せる。
7. 何をしていようと関係なく、大事なことは何を終えたのか、何をこれからするのか、である。
9. 自分しかできないという状況に陥るな。替えが効かなきゃ昇進はない。
11. 最初に成功しなかったらやりなおせ、それからやめろ。ずっとバカでいる必要はない。
12. 何をしていいか分からないときは、不安そうに速く歩け。
17. 人に与えられた仕事をいくらやってもいいが、それはしなくてはならない仕事ではない。
18. 昇進するためには、自分の仕事を分かっている必要はない。19. 昇進するためには、自分の仕事を分かっているフリをする必要がある。
ttp://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/post-1080.html
この書評で取り上げられる本、難易度の高い「戯言シリーズ」の香り。
だとするとすごく興味アリ。骨が折れそうだが読んでみるか。
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私は言ったことを要約されるのが本当は嫌いだ。「つまり、それはこういうことでしょ」と言われると内心「違うよ」と思ってしまう。一生懸命に伝えたいことほど細部に思い入れがあるのであって、大意要約されてしまうと、途端につまらなくなる気がするのだ。情報化で失うものが確実にある。
しかし要約せざるを得ない。時間の関係で、紙面の関係で、需要の関係で。現代の情報化社会では、常に情報は圧縮されて扱われる運命にある。情報流通に必要な機能的な骨組だけを残して、ばっさりと血肉が切り落とされてしまう。小説の”あらすじ本”がベストセラーになる時代だ。
9.11同時多発テロの真の原因は宗教ではなかったと思っている。情報化とか対象化ということが悪かったのではないか。同じ人間なのだから話せばわかるというユマニスム、言葉=情報で他者を理解できるという誤解がいけないのだと思う。普通の人間関係にだって、話せば話すほど噛み合わなくなる場合がある。異質であるものを、自分のフレームで対象化し、情報化することは、相手の血肉を切り捨てることだ。だから争いが起きるのだと思う。解決法?。徹底的に棲み分けるか、男女が交配するか、どちらかだろう。話し合いではない気がする。対象Aに対して到達し得ないことを知ること、知った上でせいぜい近づけるところまで行ってみること、で満足しておくべきだ。その対象Aは、宗教「神」「仏」だけでなく、「自由」や「死」であったりもする。
先日、『フジテレビ開局50周年記念 記録よりも記憶に残るフジテレビの笑う50年』という番組がやっていたんですね。その中で昔のお笑い番組のリプレイがたくさん流れたんですが、それを観たナインティナインの岡村さんがこんなことを話していたんです。かつてのお笑いは、危険なこともエロいことも含めてめちゃくちゃやっていた。でもいまは、イジメのきっかけになると言われるから同じことはできないんだ、と。芸人が芸人をいじる芸や罰ゲームが、イジメの手段として使われる、イジメを助長している、と言われてしまうんだそうです。そこで岡村さんは、僕には涙ぐんでいるように見えたんですが、そういうつもりでお笑いを作っているわけではない、と言ったんです。むしろいじめられている子が土曜の夜にお笑いを見て、芸人がいじられている様子を笑い飛ばしてストレス発散してくれればと思って作っている、と。その言葉に僕はものすごく感動したんですね。ゲームも同じように悪く言われがちです。何か事件が起こると、その容疑者がプレイしていたゲームが報道され、ゲームの影響だと言われる。でもそう言われてしまうのは、僕たち業界人が責任を果たしていないからだと思うんですよね。いつまでゲームを作り続けているかはわかりませんが、僕だけでも業界内で果たせる役目があるんじゃないか、それを考えていきたいと思います
ttp://www.famitsu.com/game/news/1228468_1124.html
ひまわりの学名はヘリアンサス(太陽の花)で、まっすぐ太陽に向き合うさまから正義の象徴にもされて、弁護士バッジはひまわりを象って作られています。花言葉は『あなただけを見つめている』 力強くどこか不気味な雰囲気があります。
余談ながら、ひまわりは種を採取する農業目的以外にも放射能で汚染された地域を浄化するために植えられる事もあります。放射能で汚染された土地でも力強く育ち、地中から放射性物質を吸い上げて葉や茎に蓄積する性質 があるので、ある程度育てば刈り取られて焼却されて灰は放射性廃棄物として保管されます。 ひまわり畑を見たときは注意したほうがいいかも…?
h ttp://kousyoublog.jp/?eid=2409
戦後の日本社会とは”農村から都市への人口大移動”の歴史といえるが、農村から都市に移った人々は、カイシャと核家族という”都市の中の農村(ムラ社会)”を作っていった
民法の雇用契約概念はローマ法の奴隷契約をベースに出来たのは有名な話ですが、その原点にとっても近い由緒正しい形態かもしれない・・・つまり日本の雇用契約は、奇跡的な時代の名残で、仕事じゃなく労働者そのものを買う制度になっているということです
■前提=メンバーシップ型雇用契約
使用者に発生する広範な権利は日本の労働契約の実態が「会社という共同体への人的帰属関係との性格が強い」つまり、労働者は使用者の指揮命令に従うことで会社という共同体に所属する権利が与えられるというところにあると言ってよい(つまり日本では、ただ単純に職を失うということではなく、共同体から排除されることになるからはるかにインパクトが大きい)
■成立過程
コミュニティという視点で言うならば、会社は生産のコミュニティ、家族は生活のコミュニティと言えます。この二つはベクトルでいうと正反対に位置するものですが、高度経済成長期は生活のコミュニティは地方からの上京組や核家族という最小化されたものとなり、逆に会社は一日のほとんどを費やすことになり極大化されていきました。このいびつな関係を結びつけたのが「奇跡的な経済成長」という接着剤で、ほかのあらゆるコミュニティを最低限のものとして会社の生産活動に人生を捧げていれば、結果として収入は数倍になり人生最後まで面倒を見てくれたのです。高度経済成長期には社葬はもちろん会社専用墓地などそれこそ死後も面倒をみてくれた会社も多くあったといいます
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そしてこれにどっぷり漬かってきた団塊がきらいなんだよ。オヤジとかオヤジとかオヤジとかまさにこの典型例で、どれほど精神が歪んでるか、どれほどもろい人格かを全く認識していない。年功序列にはまった成果、自分の下の人間としかコミュニケーションとれないんだな。年下なのに自分と対等にコミュニケーションする存在を許せない。だから息子とも、妻(自分より下とみなしている!)とも会話ができない。