1st
ビジネスのパイの話@某セミナー
世の中には、どうやら「センスのある人」と「センスのない人」という二種類の人間がいるらしい。そんなことを、多くの人が感じているようです。
例えば、音楽のセンス。例えば、ファッションのセンス。例えば、色彩のセンス。例えば、お笑いのセンス。例えば、記憶のセンス。いろんなセンスがあるらしいのですが、じゃあその中に、「ビジネスのセンス」というのもあるんじゃないの、と、ビジネスをやっている人間のほとんどは思っているようです。僕もご多分に漏れず、そう感じることは多々あります。
仕事柄たくさんの人に会いますし、その多くは既にビジネスをやっているか、その予備軍の方たちだから、余計に感じるのかもしれません。当然、僕は絵のセンスとかそういったものについては語る資格を持たないので、ここはやはりビジネスに特化して、センスというものを考えてみたいと思います。ビジネスのセンスがあるやつ、ないやつというのは、一体どうやって峻別されるのか。音楽やファッションと同じく、そりゃあ山ほど基準はあるのですが、その中の最もわかりやすく、なおかつ精度の高い、つまりセンスのあるなしがおおよそ外れない、ひとつの基準についてお話ししようかなと思っております。
ここに当てはまってしまったら、ビジネスで成功するのは、かなり険しい道になるかもしれません。緊張しながら先を読んでください(笑)。
センスがない人というのは、一般的によく言われる、いくつかのわかりやすい特徴を持っています。例えば、できない理由ばかり探しているとか、言い訳ばかりしているとか、他人のせいにばかりしているとか、そういったことですね。ただ、それもももちろんあるのだけど、個人的には少し違う特徴を重視しています。今挙げたげような、言い訳がましいとか被害者意識が強いとか、そういった特徴は、ビジネス云々ではもはやなく、単に人間としてのセンスが皆無なのであって、その意味でどーでもいいことです。そもそも生き物として、センスがない。生き方にセンスがない。そーゆーことだから、ここでわざわざ語る価値もありません。
ではビジネスに特化してセンスがない人の特徴というのは、どのようなものがあるのだろうか、ということになるのですが、個人的に一番わかりやすく、しかもあまり外れないと感じているのは「ビジネスはパイの食い合いである」と考えているかどうかです。こう考えている人は、端的にビジネスセンスがないと、少なくとも僕は判断します。
短期的にはまぐれ当たりが出るかもしれませんが、長期的には、このように考えてビジネスがうまくいくはずはないし、実際そのような人を僕は知りません。ビジネスは売り上げさえあがればいいんだ!という、人として問題のある価値観を持っているのであれば、もしかしたらある程度うまくはいくのかもしれませんが、それでもいつか崩壊すると、僕は感じています。その象徴が、いわゆるリーマンショックでしょう。まあ何にせよ、パイの食い合い、などという幼稚な発想は、センスのない人特有の思考だということです。なぜそのような思考をしている人にはセンスがなく幼稚なのか、その理由は大きく言って3つあるのですが、今からその各々を説明していきます。
さて、上のような話を聞いて、さらにセンスのない人は「じゃあビジネスに競争なんてものはないのか」という短絡的な発想をするわけですが、そうではありません。焦らず一歩ずつ進むのが大事ですが、とりあえずはその辺りから考えてみましょう。
——
まずお話したいのが、そもそも「パイ」とは何なのか、ということです。そしてこの話が、「パイの食い合い思考」に憑りつかれている人にセンスが感じられない理由の一つ目になります。
「パイ」とはもちろんそれはマーケットのことですよね。ひとつのマーケットは有限であり、ゆえにそこに100社いれば、その100社でのシェアの取り合いになる、と。そーゆー一見もっともらしい発想に基づいています。イメージしやすいから騙されやすい、とはこのことです。「パイ」の大きさは決まっているか?といえば、それはもちろん・・・
決まっています。世界に存在するお金の総量や人間の数は、ある程度の流動性はあるとは言え、有限な値に決まっているからです。その意味で、「パイ」と呼ばれるものは決まっています。
しかし、ここにひとつ面白いところがありまして、パイは決まっている、とか、パイの食い合い、とか、誰かが多く食えばこちらの取り分が減る、といったような考え方をしていると、不思議とビジネスはうまくいかないのです。もちろん、僕が昔から言っているように、ビジネスは人間関係そのものだから、そのような考え方をしている人は、プライベートの人間関係も、うまくいかないことが多い。
そういえば昔から「事業がうまくいっている会社の社長は、プライベートで問題が起こり、その後会社がうまくいかなくなる」なんて言われていますが、個人的には、その原因はこの「パイの食い合い思考」にあると思っています。伸び盛りの会社の社長は、えてしてこの思考に陥っています。だから限りなくパワフルに行動でき、短期的には利益を上げます。その結果、事業は伸び、それが一生続くかのような錯覚すらもたらせる。
しかし、人間は「奪われれば奪い返したくなる」ものです。「食い合い思考」によって他人から強奪の限りを尽くしていれば、いつかそのつけが回ってくるのが、摂理と言うやつでして。くだらない商品を騙されて高値で売りつけられたときや、店の接客で酷い対応を受けたときなどは、思わず悪評を振り撒きたくなるでしょう。それこそが、「奪い返し」なのです。人間は、どんなに善良な人だって、そういった性質を持っています。もちろん、僕にも大量にあります。だから、結果として、奪い続ける人の周りには、その反動で「奪い返したい人」が集まることになるんです。ビジネスで言えば、クレーマー。あるいは、愛想を尽かして去っていくか、です。クレーマーになることすら価値がないと判断する、よりシビアな人たちですね。食い合い思考の人は、遅かれ早かれそういった人たちで囲まれることになります。まずプライベートで問題が起こるのはそのためでしょう。
会社経営はある程度数字で動く面もありますが、純粋な人間関係は数字が介在する余地は一切ありません。人間関係の破綻は、ダイレクトにその人自身に対する信頼の破綻を意味します。奪い返したい人とは喧嘩になり、険悪な関係になります。愛想をつかしていく人とは、「あなたみたいな、人から奪っていく思考の人とは付き合いきれない」となり、関係が終わるわけですね。そして少しラグがあって、ビジネスにも歪が見え始める。
で、話を戻しますが、パイの食い合い思考を持っている人が、なぜビジネスセンスに欠けると言えるのか。それは、ひとつは上に説明した「ビジネスの根本である人間関係を破綻させるから」ですが、もうひとつ、よりビジネスライクな理由があります。それは、「競合」という概念についてです。
単純に、ビジネスは競争でありその競争に勝つことが大事だ、と信じている人はとても多いです。もちろん僕はそれを否定する一派ではありません。ビジネスに競争はつきものですし、それ故に競合相手というものも確かに存在します。しかしその「競争」は、一般的に言う「パイの食い合い」とは全く異なるものであるということです。何が異なるのか、を一言で言えば、「パイ」が何であるかは事業者にはわからないということです。これは言い換えれば、一体自分が誰と競合しているのか、実はわからないということを意味します。
僕は同じ話を、手を変え品を変え、いろんな形で話すわけですが、この話はブランドの話とか、価値の話とか、そういった話の繰り返しになります。こちら、つまり販売者側からは、自分の競合相手などわかりようがないのです。何と競合しているかは、こちらが決めるのではなく、買い手が「勝手に」「頭の中で」決めるものなのですから。
たまーに、僕は「ライバルはいないんですか?」と聞かれます。大体の場合「いないよ」と答えますが、それは別に「俺様がすごすぎて、相手になるやつなんかいないぜ」という意味ではないんですね。純粋に「ライバル不在である」と言っているわけで、つまり「あんたが思っている人たちや企業たちとは、競合している意識はありません」ということを意味しています。例えば僕の意識としては、強いて言えばYouTubeとかワンピースなどが競合だと思っているわけですが、それだって正しいわけではない。全く競合していないと感じる人もいるだろうし、逆に競合していると感じる人もいるでしょうから。
面白い例では、以前「トヨタの車」と競合していると言われたことがあります。新車を買おうか、僕のセミナーに出ようか悩んだ、というんですね。結果、僕はトヨタの車との競争に勝利したわけですが(笑)、さすがにこの競争は全く予想していませんでした。また別の人で、「車の修理費を払ったらセミナー参加費を払えなくなりました」と言われたこともあります。このケースでは、僕は車の修理費との競争に負けたわけです(笑)。競合とは、このように多様なものであり、こちらが勝手に意識していいものではないんですね。そんなのは、単なる自意識過剰です。それをやってしまえば、ドンドン顧客の視点から外れていくことになり、結果ビジネスはうまくいかなくなります。つまり、そいつにはビジネスセンスがない、ということになるのです。
くどいようですが、これは「競合はいない」なんてことではありません。競合は常にいます。ただし、それが誰なのか、がわからないということ。テレビかもしれない、映画かもしれない、車かもしれない、旅行かもしれないんです。コンサルタントの競合がコンサルタントとは限らない。トヨタの競合が日産とは限らない。楽天の競合がアマゾンとは限らない。ヤフーの競合がグーグルとは限らない。そういった話ですね。実際、これらのケースでは、僕の中で競合しているなと感じる組み合わせはひとつもありません。僕が使う際には、全く比較対照にならないからです。使う目的が全く違うのだから、当然「お財布」も全く異なります。仮にヤフーがいくらグーグルをライバル視していたとしても、僕には全く関係のない2企業です。マックかなー、ウインドウズかなー、という悩みは、少なくとも僕には無縁です。何が競合しているかは、各顧客(見込み客)によって異なる。ビジネスをやるのであれば、この現実から、目をそらしてはいけないのです。
ひとつヒントですが、大体の場合、いわゆる「同業他社」と競合していることはあまりありません。不思議かもしれないですが、これが空論ではなく、現実です。現実は、目的合理的ではありません。「なぜ車の修理代とセミナーが競合するのか?」なんて、合理的な理由は伴わないのです。そんなのの集合が、現実。同業他社との競争は、「競合」とは言わず、単に「価格競争」と呼んだほうが的確でしょうね。単なる足の引っ張り合いです。これが、表面的なものに騙されずに、よくよく考えた結果の、「競合」の実際です。そこに気づかず、勝手に同業他社を競合相手と決めつけて食い合いしようとしているのは、お世辞にもセンスがあるとは言えないのではないでしょうか。
そして最後、3つ目の理由になりますが、それは「科学的思考を盲信しすぎている」ということです。科学、ではないですよ。科学的思考、です。一昨年のセミナーで、僕は「科学的にやってうまくいく時代は既に終わっている」ということを話しました。ようやく最近になって実感してきている人が多いようです。同じようにやっているのにうまくいかなくなった、とか
厳しい時代になった、とか。そんなのは2年前からわかっていたことだし、僕はきちんと背景も含めて説明しているわけで、その話を理解し、そのときから次なる時代に向けて準備していた人は何も困っていないどころか、右肩上がりになっているわけです。「科学の時代は終わっているけど、まだごまかしごまかしうまくいきますよ、風前の灯ですけど」ということも同時に説明したんですが、その「風前の灯」にすがって準備を怠った人は、今急激に危機感を募らせ、人によっては、もう灯が消えてしまっているころかもしれません。
科学的にやっているだけでは、もううまくいかない。そんなことを伝えたかった。科学的にやれば自動的にうまくいく。数字さえあっていれば、失敗するはずがない。こんな旧石器時代のパラダイムをいまだに採用しているわけです。ガチガチの理系の研究者だって、いまどきここまでアホなことは考えていません。「最新の」などと銘打ったものも日々登場していますが、結局旧石器時代のパラダイムのままですから、本質的には、100年間何も進歩していないと言っていいでしょう。100年前は旧石器時代じゃないですよ、というツッコミを真顔で入れてしまう人は、一生ビジネスで成功しないだけでなく、人としても最高にセンスがない人であることは疑う余地もありませんが。
我々はですね、いよいよ科学的な呪縛を超えなければいけないんです。それは、否定するということでは全くありません。踏まえて乗り越えるのです。ビジネスに限って言えば、科学的思考の陥穽にはまることなく、今の時代にふさわしいビジネスのあり方を築き上げなくてはいけない。
「科学的思考?そんなの自分の生活には関係ないじゃん」などと能天気なことを言っている場合では、実はありません。アホ面さらしてテレビを見ている場合ではないのです。我々は文字通り科学的思考に「縛られている」のであって、それはまさに「日常」に入り込んできています。なぜリーマンショックが起こったのか?なぜライブドアショックが起こったのか?なぜ原価20円程度の紙切れが「1万円」であると思うのか?なぜ試験勉強を一生懸命すれば合格すると思うのか?なぜビジネスは苦しくなったり楽になったりするのか?なぜ医療ミスは起こるのか?なぜ「健康だ」と言われていた食品が実は有害だったりするのか?新型インフルエンザ騒動は一体なんだったのか?環境問題とは何なのか?なぜ巷によく言われるダイエットはうまくいかないのか?など、挙げていけばキリがないですが、このようなことは全て、科学的思考の弊害として語ることができます(くどいですが、全て科学が悪い、というわけではありません)。
我々は、もはや科学的思考と独立して生きていくことはできないのです。だからこそ、意識して呪縛から逃れる必要がある。
そういえば中学生の頃、ある中学生向けの数学雑誌を読んでいて「ロールオーバーユークリッド」というタイトルのコラムが連載されていたのを思い出します。要するに、ユークリッド幾何学というものは「あるひとつの」パラダイムに過ぎないのであって、それを越えた世界が数学界には無限に存在している。中学ではユークリッド幾何学が「真理」であるかのように教えられるが、それを越えていかなければ、何もわかっていないのと同じことなんだ、ということを教えていたわけです。今思えば、すごいことを中学生に向けて書く人だなと感心しきりなわけですが、同じことが、ビジネスにも当てはまっています。そして、今のような時代に、それはようやく誰の目にもわかるような形で、現れる。ポーターなどに代表される競争の原理は、暗黙のうちに科学的パラダイムを前提にしていますね。であるからこそ、自ずと、ものすんごい低いところに限界がある。言うとおりにやってもうまくいかなかったり、どうしても机上の空論に感じてしまうのは、そのためです。科学は、現実を正確に描写することはできません。それを認識し、自分なりに越えなければ、この時代はとても生き抜けないと、僕は思います。
大事なので最後にまとめを繰り返しますが、競合は常にしているということは忘れないでください。しかし、競合相手はこちらからでは確信できない。確信していると思っているのは、センスがない人特有の錯覚です。無知の知、などという高尚な話ですらなく、そのくらいのことは認識していなければこれだけ厳しい時代は生き抜けないだろうということですね。ビジネスをやる以上、競争は当然(一時的にせよ)しなくてはいけません。しかし、間違った相手との不毛な競争に、勝手に参加してもいけない。それが、ビジネスセンスなんだ、と。
人間関係を破綻させ、間違った相手と必死に奪い合いをし、現実と乖離した科学的思考に固執してメルヘンに生きる。こんなやつが、ビジネスセンスがあると言えるでしょうか?こう書けば誰でも理解できるはずです。しかし、これが「ビジネスって、結局はパイの奪い合いだよね」としたり顔で言っているやつの実態なのです。今日から、そんなやつにあったらこう思うようにしましょう。「ああ、こいつは人間関係を破綻させ、間違った相手と必死に奪い合いをし、現実と乖離した科学的思考に固執してメルヘンに生きているセンスの皆無な不憫な人なんだ。」って。だってそれが、現実なのですから。