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かつては「文章」ってものの届く最大の範囲は、おそらく新聞だったんだろう。それ以前に、文章日本語っていうのは「読む訓練」をしかるべき教育機関で受けてきた人のためのものだった。だから、標準的な文章日本語は、なにかが文章によって表現される場合の「共通語」である地位を失わなかった。 でも、いまはまずネットでしょ。んで、雑誌。最近の若者は活字離れが進んでるそうだけど、文章ってものに日常的に触れてる人の比率って、逆に増えてんじゃねーの?と思う。ケータイのメールだって考えようによっては文章なわけだし。だれもが読み手であって書き手。この状況になって、あらためて文章日本語と口語の乖離が目立ってきた。雑誌の文体があれだけ種類によって違うのは、その乖離を埋めようとする努力だともいえる。 文章って、そこに参加する人数が増えるほど、自然に言文一致を目指す力学みたいなのが働いてると思う。となると、この先どうなっていくのか。用途によって使い分けられるのか。世代によって文章日本語が違うなんて時代が来るのか。あるいはまた、一世代か二世代をかけて、リニューアルした文章日本語が少しずつ固まっていくのか。 俺個人としては、ブログの文章はこんな感じでゆるゆると書いていきつつ、でもどこかではアナクロ極まりねえ日本語を書き続けてるんだと思う。周囲がどんな日本語使っていようと。
まあ、いろんなところで文章日本語は「崩れて」くるんだろうな
hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100528/1274994148