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思うに、すべての言説は「一理ある」。なぜかっていうと、言説における言葉は、すべて説明のために存在するから。説明を放棄するための言葉っていうのは、たぶん別の場所には文学っぽいなにかで存在するだろうけど、論説とかにはない。意味わかんなくなるから。そしてその言葉がなにかを説明しようとする時点で、そこには必ず理が発生する。たとえ俺にはその理がなんであるかさっぱりわからないとしても、それはおそらく、俺にはその人の疑問が理解できないからだ。説明は、疑問に対する解答として与えられる。そして、疑問はいつだって特殊な、一回限りのものだ。疑問っていうのは、世界とある人間との関係において発生する一回限りの特別な現象であり、俺からはそれは観測不能ってことだ。だって俺は、その人じゃない。

このような俺の態度は、いってみれば誠実ともいえる。ただしこの場合の「誠実」は、誠実ってうぜえとか、誠実とかまじ現実的には使えないとかそういう意味での「誠実」だ。最大限否定的に振った意味だと思ってもらってかまわない。なにしろ現実とやらを議論の俎上にのせた時点で、なにごとにつけ有益であることは要求されてるわけだし、だからこそ議論ってものの成立する余地があるんだが、その場において原理原則とかにこだわってるのは、基本的にアホの所業だ。俺だって仕事の現場では原理原則なんざいくらでも曲げる。

hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100530/1275158561