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<rss version="2.0"><channel><atom:link rel="hub" href="http://tumblr.superfeedr.com/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"/><description></description><title>RememberDT React</title><generator>Tumblr (3.0; @simatomoki)</generator><link>http://simatomoki.tumblr.com/</link><item><title>「こういう企業はヤバイ」</title><description>&lt;p&gt;ttp://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2332.html&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;危険な会社名 &lt;br/&gt;&lt;b&gt;◎ハート～◎～スマイル ◎～ウェイブ ◎ワールド～ ◎グローバル～&lt;/b&gt; ◎リバティー～ &lt;br/&gt;◎～カンパニー ◎～ソリューション ◎～コーポレーション &lt;b&gt;◎社長の苗字が社名&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;求人のＮＧ写真 &lt;br/&gt;◎ガッツポーズの写真 　◎茶髪の事務女が全面的にドアップな写真　◎高級外車のある写真 &lt;br/&gt;&lt;b&gt;◎都会の高層ビルの写真　◎肩を組合っている写真◎満面笑顔の写真 &lt;br/&gt;◎若者ばかりの集合写真  ◎内容に関係ない外人の写真&lt;/b&gt; 　◎携帯電話片手にキメてる写真 &lt;br/&gt;◎外人がワイングラス片手に満面の笑顔の写真◎外人が指差している写真 &lt;br/&gt;◎若者が上を見上げている写真◎モデルっぽい女の子ばかりの写真&lt;br/&gt;◎茶髪でつなぎを着た作業員の集合写真 &lt;br/&gt;◎写真の代わりに&lt;b&gt;キャラクターの作業員&lt;/b&gt;　◎茶髪の事務女が真中にいる写真 &lt;br/&gt;◎若者中心でおでこ全開、前髪を後ろで固めている写真&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;求人のキーワード &lt;br/&gt;◎&lt;b&gt;感動型経営！&lt;/b&gt;感動創造を目指します。(高離職率低賃金、高卒中心) &lt;br/&gt;◎ベンチャースピリットのある方募集！(高離職率低賃金、使いまわし) &lt;br/&gt;◎25歳、元警察官、彼は現在保険営業をしています。(飛び込み営業でノルマを課します) &lt;br/&gt;◎高卒後、3年後に俺でも係長になれた。&lt;b&gt;実力があれば年齢は関係ありません&lt;/b&gt;。(DQN中のDQN） &lt;br/&gt;◎正社員登用&lt;b&gt;の道あり&lt;/b&gt;（実際のところありえない） &lt;br/&gt;◎人材ではなく人財を求めています。（ノルマ多し、錆残多し、人は奴隷) &lt;br/&gt;◎女性も頑張っています(女は定時で帰宅、男は錆残の会社) &lt;br/&gt;◎&lt;b&gt;サービス精神がある方&lt;/b&gt;(サービス残業精神のある方) &lt;br/&gt;◎幹部候補募集（薄給でも責任重大） &lt;br/&gt;◎&lt;b&gt;未経験大歓迎&lt;/b&gt;（誰でも出来る仕事です） &lt;br/&gt;◎若い仲間が頑張ってます。（離職率高し） &lt;br/&gt;◎大幅な事業拡大のため募集。（年中人手不足） &lt;br/&gt;◎あなたのがんばりを評価します。（歩合率高し） &lt;br/&gt;◎家庭的で働きやすい職場です。（同族企業です） &lt;br/&gt;◎&lt;b&gt;とても風通しの良い&lt;/b&gt;社風です。（ワンマンな社風です） &lt;br/&gt;◎中途採用のハンディはありません。（入れ替わり激しい） &lt;br/&gt;◎&lt;b&gt;大変やりがいのある仕事内容&lt;/b&gt;です。（アホくさい内容です） &lt;br/&gt;◎店長をはじめ&lt;b&gt;愉快なスタッフ&lt;/b&gt;があなたを待ってます。(店長は元バイト)&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/288140322</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/288140322</guid><pubDate>Thu, 17 Dec 2009 19:37:40 -0500</pubDate></item><item><title>労働について「自分が実行できる」定義を持とう</title><description>&lt;p&gt;&lt;i&gt;それが労働であるのかどうかは事後になって、&lt;br/&gt;それを「贈り物」として受け取る他者の出現を待ってしか判明しない。&lt;br/&gt;労働は価値を創出する。だが、価値というものは単体では存在しない。&lt;br/&gt;価値というのは、それに感動したり、畏怖したり、羨望したりする&lt;br/&gt;他の人間が登場してはじめて「価値」として認定される。&lt;br/&gt;ガレージにこもって基板にはんだ付けいる青年がしていることが&lt;br/&gt;「労働」かどうかはその時点ではわからない。&lt;br/&gt;（短期的スパンを取れば、消費するだけである）。&lt;br/&gt;だが、彼の作った電子ガジェットが爆発的に売れて、&lt;br/&gt;気がついたら大富豪になってしまったということになると、&lt;br/&gt;回顧的には「あのとき彼は労働していたのだ」ということになる。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;どういう行為が「働く」ことであり、&lt;br/&gt;どういう行為がそうでないのかは、働き始める前にはわからない。&lt;br/&gt;働いて何かを創り出した後に、それを「欲望する」他者が登場してきて&lt;br/&gt;はじめてそれは労働であったことが遡及的にわかるのである。&lt;br/&gt;&lt;/i&gt;&lt;b&gt;&lt;i&gt;労働の価値は労働そのものに内在するわけではない。&lt;br/&gt;その成果を享受する他者たちによって事後的に賦与されるのである&lt;/i&gt;&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;マルクスの最大の罪は、共産主義そのものではなく「労働＝価値の創出」という間違った定義を敷衍させたことだというのはよく言う話。そして産業社会はこの労働の価値を「保証」する形で発展してきた。特に日本はそうだ。農家の定額買取などをずるいと批判している大人は何もわかっていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そしてそういう人達は同時に「負の労働」について全く認識していない。がんばればがんばるほど赤字を生む。誰もが不幸になる。そういう仕事のやり方があるということを全く考えもしない。「最近の若者は」とつぶやくオヤジとスパマーは割と似ている。なぜならこれは誰も幸せにしないからだ。ただの自分の地位に任せた「精神的充足の搾取」である。そうつぶやいた親父一人が満足しているのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しけたオヤジのいう労働の定義は無視しよう。オヤジ達は、自分のつまらない働きぶりが、仕事を苦行のように捕らえるやり方が、それを強要することに何の違和感も感じぬ愚かなシャチクぶりが、どれほど若者のやる気を奪っているのか全く理解していない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;■島﨑さんは、おそらく皿洗いをしているときすでに、賃金以上のものを、未来において彼が開発したスキルの恩恵を受益する人々のことを想像するというかたちで、前倒しで受け取っていた&lt;b&gt;。自分がなした仕事から何らかの喜びや愉悦や利益を受け取る他者がいつか出現するであろうという予測をもてるならば、それは、労働に今ここで価値を加算する&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;１０年泥のように働けは間違っていない。価値は後で加算される、それまで全力で努力せよって話だ。間違っているのはそう発言する人達の提供する労働が、将来的な価値を全く保証しないということだ。いやそれでは生ぬるくて、将来的に価値が落ちることを支えるために奉仕せよといってる言うことだ。せめてそこが変わっていくことを受け入れる器量があれば別なのだが。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ーーーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;■&lt;i&gt;出来る人間というのは、彼にできる範囲で、彼の工夫するささやかなサービスの積み増しを享受できる他者の出現を日々待ち望んでいる。&lt;b&gt;受け取り手の態度は彼が機嫌の良い働き手であることを少しも妨げなかった&lt;/b&gt;。「働くことの本質を知っている人間」の徴を見取ることが出来る。働く人が、誰に、何を、「贈り物」として差し出すのか。それを彼に代わって決めることのできる人はどこにもいない。贈り物とはそういうものである。誰にも決められないことを自分が決める。その代替不能性が「労働する人間」の主体性を基礎づけている。その「贈り物」に対しては（ときどき）「ありがとう」という感謝の言葉が返ってくる。それを私たちは&lt;b&gt;「あなたには存在する意味がある」という、他者からの承認の言葉に読み替える。実はそれを求めて、私たちは労働している。&lt;/b&gt;&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ちなみに今は、受け取れる「良い客」は少ない。サービス業が栄えているのは、サービス業ならまだわかるからだ。漁業においては全くわからない。だから売り込まざるを得ない。教育が必要だ。教育とは、受け取れる人間を増やすことである。もちろんいい方向ばかりではなく今までのように「画一的な商品を受け取る」ように教育される場合もある。&lt;b&gt;教育の第一義は「働く人」を増やすことよりもっと重要なのが「働く人」へのインセンティブとなる「受け取り手」を増やすことである&lt;/b&gt;。エリート社会が必要なら、エリート社会を正しく評価できる人間を育てる必要がある。これはマスメディアには不可能であることはコリン・ウィルスンが喝破したとおり。新しい時代に向けた内面的な指針を与えることが必要である。そしていつまでたっても変わらない両親はその害にしかならない。しかし親を責めてはいけない、親へのインセンティブを与えるのは企業であり、企業に指示を出す国の最重要任務だから、そこが充たされないとどうしようもないからだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;「働くとはどういうことか」、働くとどのような「よいこと」が世界にもたらされるのかを知っているのは、現に働いている人、それも上機嫌に働いている人だけなのである。レヴィ=ストロースが言うように、人間性を基礎づけるすべての根源的制度の起源は闇に消えていて、私たちは人間である以上、それに直接には決して触れることができない「どうしてそんなことをするんですか？」とどこまで遡及的に意味を問うても、「それはお前が人間だからだ」という以外の答えに出会うことはないのである。「働くとはどういうことですか？」と問うのは「人間であるとは、人間にとってどういう意味をもっているのですか？」という問いと同じようなトートロジーである。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「シャドウワークス」という本に「ヴァナキュラー」と「コンヴィヴィアル（いきいきとした共生）」という概念がある。コンヴィヴィアルな社会や生活が成立するには、人々がコンヴィヴィアリティ（共生感覚）を探求する意欲をもてるようにしなければならないと考えて、それにはシャドウ・ワークを解放し、さらにはヴァナキュラーな価値を闇の中から人々の手に取り戻さなければならないという考えが私は好きだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーーーーーー&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;i&gt;&lt;b&gt;労働の目的は「人間の人間性を基礎づけること」である&lt;/b&gt;。端的に言えば「大人になること」である。より具体的に言えば「適切なしかたで贈与が行える人間になること」である。私たちの時代において「働くとはどういうことですか？」という問いが繰り返し口にされるのは、「贈与できるものになる」ことが人間の本質であるということを誰も言わなくなったからである。。経済活動が重要なのは、経済活動に参与するプレイヤーの「資格」に「市民的成熟」という条件が付されているからなのである。幼児でも参加できるなら、その経済活動は人類学的な意味ではもう「経済活動」ではない&lt;/i&gt;。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;というわけで、人間性を求められる。私は人間性が非常に乏しいので低い価値しか得られないのだが、せめて私と違って人間性に優れ、多くの人が喜ぶものを作った人には適切な対価が支払われるといいな、とは思ってる。&lt;b&gt;とにかく定義は何でもいい、まずは自分で動ける定義に変えることだ。大人の、そしてその大人の上にいる企業の唱える労働の定義はクソなので最初から無視して自分で考えよう。その上で、自分がうまく動けるようになったら、ちょっとずつ人の為に近づけていこう。&lt;/b&gt;正直なところ、今の貨幣システムではそれが非常に難しい。むしろ貨幣システムこそが「狂った価値観」の源泉なので、最終的にはこれを倒すことが目的になるが、とりあえず今はそのようなことを気にせずにがんばろう。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/286032928</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/286032928</guid><pubDate>Wed, 16 Dec 2009 07:04:09 -0500</pubDate></item><item><title>評論の良し悪しはともかくインセンティブは邪悪</title><description>&lt;p&gt;本質はともかく、今評論というものにコマーシャリズムがあたえるインセンティブの邪悪さは異常。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ttp://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20091216/1260911668&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;●●のポイントは肯定的な評価をせず、決して賛辞しないことです。そして、&lt;b&gt;責任を問われないために建設的な提案をしない&lt;/b&gt;ことです。最もな意見を言い放ち、自身の満足を得ると同時に相手に同調を強要する。リスクを負って懸命に作り上げたものを中傷し、&lt;b&gt;価値があればあるほど無碍にすることで、自身の意見の価値を高めていく&lt;/b&gt;ことができます。そして、その意見が影響して価値が失われたとき自分の●●の権威を知らしめたとほくそ笑み、したり顔で言うのです。『私の言ったとおりでしょ』&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;●●家は誰のために、そして何のために評論するのでしょうか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;参考文献の「メディアコントロール」は、アメリカの陰謀について触れた非常に面白い本なのだけれど、この部分だけ取り出してくるという発想はなかった。ちなみに、この部分はネ「読者」側にしか立っていない人にも当てはまると思う。（私のようにはてブとタンブラーしかせずに、自らのリスクで自らの意見をちゃんと伝えていない人もそうだし、うちの父のようにテレビを見て政治批判したら国の為に何かしていると勘違いしてるひともそう。自分でリスクをとらないやつに本来は発言権などない。でもまず発言者にならなければ、一生底から抜け出せない。　だからこうして引きこもって目に見えないところで発言させてもらってます。お目汚しすみません。）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;大人たちは「若者がけしからん」というのが仕事ではなくて、「けしからん若者を作り出す歪んだインセンティブ」を修正することが必要であると常日頃から思う。あ、そういえば「インセンティブ」買ったのにまだよんでなかった。読もう。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/286005343</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/286005343</guid><pubDate>Wed, 16 Dec 2009 06:23:17 -0500</pubDate></item><item><title>はじめて「読み手を選ぶ」の意味がわかった気がする</title><description>&lt;p&gt;ttp://d.hatena.ne.jp/kaien/20091214/p1&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ファンタジーにおいては、奇跡は起こる。不幸なシンデレラは救われる。醜いあひるの子は白鳥に成長する。しかし、リアリズムにおいては、奇跡は起こらない。現実は、どこまでも白々と、現実である。さてこのどちらを重視するかについて&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．真実○　事実○　アイデアリスト（理想主義者）&lt;br/&gt;２．真実×　事実○　リアリスト（現実主義者）&lt;br/&gt;３．真実○　事実×　ロマンティスト（空想主義者）&lt;br/&gt;４．真実×　事実×　ニヒリスト（虚無主義者）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;と分類するとすると、&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『グイン・サーガ』のアルド・ナリスというキャラクターは、ひとりでこの四つの分類にあてはまる人格を使いこなしていた。通常はリアリストとして振る舞う。そして親しくなったものにはアイデアリストとしての顔を見せる。しかし、それすらも実は仮面であり、この仮面に騙されないヴァレリウスにだけはニヒリストの顔を見せる。だが、かれ自身すらも自覚していないことには、その裏には、さらにロマンティストの顔がある。そして、&lt;b&gt;リアリストであるスカール黒太子はひと目でナリスのニヒリストの顔を見抜き、かれを嫌うが、アイデアリストであるグインはその奥のロマンティストの顔までも見通す&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『グイン・サーガ』という作品は、初め、ファンタジーとして始まった。これは、怪物が出てくるとか、魔法が登場するといった意味ではない。より「真実なる世界」を描こうという傾向がつよい作品として始まった、ということである。しかし、それは、次第にリアリズムへと移行していく。その時点で、ロマンティストであるかんでさんの、作品への「接続」は絶たれる。これも当然すぎるほど当然の話。だが、もう少し&lt;b&gt;「事実寄り」のロマンティストであるぼくや、アイデアリストであるペトロニウスさんは、それでも作品への「接続」が絶たれなかった&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;栗本はさいごまで、商業的にはより実入りの少ないＢＬ作品を書くことをやめなかった。それどころか、彼女の代表作である『グイン・サーガ』すら、その題材に選んだ。なぜか。ニヒリストならいうだろう。栗本はやおい好きのあまり、妄想と現実を区別できなくなったのだ、と。ロマンティストであるぼくはそうは考えない。こう考える。ＢＬとは、彼女にとって、最大のファンタジーに他ならなかったのだ。ＢＬ作品は、栗本にとって、ひととひととの完全なる相互理解、という奇跡が起こりうるファンタジーの世界であったそれは、存在の生存闘争と、魂の救済の物語だったのだ。長大な『グイン・サーガ』がリアリズムに移るにつれ、おそらく、彼女のなかは、ファンタジーを書きたい、というフラストレーションがたまっていったのだろう。そして、書いた。ただそれだけだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;———————————-&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;ここから私&gt;&lt;br/&gt;グインサーガを最後まで愛し続けるということは、「すべてよし」の領域を知っていることが必要なんだろうか。なんとなく「シーシュポスの神話」を思い出すような話。このように読めるようになりたいが、とりあえず９巻で止まっているグインをさらに読みすすめたくなった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私は真実にも事実にも、どちらにも○をつけることが難しいように思う。あえていえばリアリスト寄りではないかと思うが、それは真実を信じるのが怖いという程度の話である。それどころか自分が拠りどころとしている実際には空想的であるのではないだろうか。昔は貧困や飢餓感がいやおうなくリアリズムをはぐくんでいたのだろうが、ある程度豊かになった現在では、殆どの人は意識することがないから、常に意識を持っている人からしたらみんなニヒリストに見えるのではないだろうかなどと思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この年になって今更かよ、という感じではあるがどちらももうちょっと考えてみたい。いやこの言い方ではやらないから、まず自分が好きなキャラがどういうものであるか振り返ってみたい。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/284439509</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/284439509</guid><pubDate>Tue, 15 Dec 2009 03:34:22 -0500</pubDate></item><item><title>政治「消費者」至上主義</title><description>&lt;p&gt;問題は３０日ルール以前。すぐに指摘できない記者達&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;・天皇陛下が行っていいのは「国事のみ」です。憲法で定められています。&lt;br/&gt;・助言は内閣によって行われますが、「小沢は内閣の一員ではありません」。&lt;br/&gt;・天皇陛下が接受するのは「大使と公使」。習近平国家副主席は大使でも公使でもありません。&lt;br/&gt;・よって、今回の謁見は国事ではありませんし、小沢が絡んでいるなら越権行為です。&lt;br/&gt;・内閣が国事行為以外に天皇に対し助言と承認を行う権能は存在しません。&lt;br/&gt;（憲法3条は国事行為に関してしか規定していないため、内閣が私的行為に関して天皇陛下を縛り付ける権限は無いのです。）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;１．「年内決着です。やります、信じてください」&lt;br/&gt;　　　　↓&lt;br/&gt;２．「というのはむこうが勝手に思ってるだけ」&lt;br/&gt;　　　　↓&lt;br/&gt;３．「という報道がありますが信じないでください」&lt;br/&gt;　　　　↓&lt;br/&gt;４．「と思ったけどやっぱり別の手考えようよ」&lt;br/&gt;　　　　↓&lt;br/&gt;５．「と言っても元の方法が死んだわけじゃないよ」&lt;br/&gt;　　　　↓&lt;br/&gt;６．「やっぱ年内の決着は無理っす」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;鳩山ってもう「民意の鑑」だろ&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;国がどういうものか分からない、&lt;br/&gt;可哀想な人には優しくしろ、&lt;br/&gt;官僚は悪い気がする、&lt;br/&gt;日米安保は悪い&lt;b&gt;気がする&lt;/b&gt;、&lt;br/&gt;自民が日本をダメにした&lt;b&gt;気がする&lt;/b&gt;、&lt;br/&gt;政権交代すれば良くなる&lt;b&gt;気がする&lt;/b&gt;、&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;――誰かがなんとかしてくれる&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;こんな感じの、日本人の幼稚な政治観が&lt;br/&gt;乗り移った概念上の存在に見えてきた&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;実は言いたいことはこの上ではなくてここから&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ttp://jp.techcrunch.com/archives/20091213the-end-of-hand-crafted-content/&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;「メディア産業は危機に瀕しており、勇敢な革新者だけが救われる」というReuters、Rupert Murdoch、Eric Schmidtらの説は正しいと思っている。個人的には、優秀なジャーナリストにとって最良の道は（勤め先のメディアにとって最良の道ではないが）、さっさと独立して自分自身の名前を新たなニュース・ブランドにしてすることだと思っている。&lt;/i&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私はこの意見に反対なんだよね。もっとも記者もこれをよしとしているわけじゃない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;それが良いか悪いか、公平か不公平かを論じても仕方がない。とにかくそういう方向に動いているのだ。旧秩序の破壊者自身が破壊されようとしている。起きている事態を無いものにしようとしても無駄だ。手作りのコンテンツは死んだ&lt;/i&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ぶっちゃけ私はテレビとか必要だと思ってるクチ、むしろネットのニュースは日経ＢＰに見るように偏りすぎてたり、個人ブログのニュース解釈の信頼性は低いと思っているので（自分ひとりで必要な情報を全て集めることも、そもそもテーマを持つことも出来ないのです）。消費者がみたいものをとかいう守りの姿勢じゃなくもうちょい攻める方向に行ってほしいかぎり。コマーシャリズムにおいて消費者の圧力に負けて貧弱になっていくのではなく（基本的に消費者はバカなのだ。そのバカから金をむしりとろうじゃなく、エリートの気概としてやつらを導くという姿勢を見せて欲しい。ネットの人間は、中途半端なレベルの奴は揶揄するが、誰が見てもすごいものには逆らわないものだよ）&lt;br/&gt;日本ＳＦにおいて、ＳＦ小説が、ＳＦの内側に閉じこもって内輪ネタで循環消費を繰り返すようになってしまったのに対して、ＳＦマンガが、スポーツマンガなどとのライバルとの戦いに身をおいて、なによりもＳＦらしくなったと評されるように、ジャーナリズムも、今のバラエティがクソつまらないうちに、横並びや内輪感覚から脱して、バラエティに迎合するのではなく、逆にやつらを実力で駆逐すべく価値のある報道を行って欲しいところ。実際、最近結構面白い番組増えてきてる。いい傾向だと思う。&lt;br/&gt;アメリカとインフラが違うものの、日本人は、ある種アメリカ人以上にマスメディアを必要としているはずなので、アメリカのようにボロボロにならず生き残ることは出来なくもないはず（とはいえ、２０１１年テレビ消失のように、ネット側で議論まとめサイトなどがまともに機能するのが先だとシェアをそちらに奪われてしまってもう生き残る道はないのだけれど）。というわけで期待してます本当に。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/284130475</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/284130475</guid><pubDate>Mon, 14 Dec 2009 22:57:12 -0500</pubDate></item><item><title>●日本→ガゼル俊敏な動きを見せるが､軽過ぎて他の動物を脅かすほどの力はない●スイス→オカピ珍獣｡なぜここにいるのか､誰にもわからない●ホンジュラス→蚊存在していることは音でわかるものの､目につくほどの存...</title><description>&lt;p&gt;●日本→ガゼル&lt;br/&gt;俊敏な動きを見せるが､軽過ぎて他の動物を脅かすほどの力はない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●スイス→オカピ&lt;br/&gt;珍獣｡なぜここにいるのか､誰にもわからない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●ホンジュラス→蚊&lt;br/&gt;存在していることは音でわかるものの､目につくほどの存在ではないた&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●オーストラリア→ハイエナ&lt;br/&gt;大きくて醜い｡彼らはどこにでも現れておこぼれを狙う&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●韓国→野犬&lt;br/&gt;気性がとても荒い｡ﾀﾁの悪いやり方で噛みついてくる&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●北朝鮮→ミーアキャット&lt;br/&gt;危険から身を守るだけで精いっぱい&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●アルゼンチン→パフアダー(毒ヘビ)&lt;br/&gt;監督がどの動物よりも強烈な毒を吐く&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●メキシコ→カバ&lt;br/&gt;とても有名な動物｡しかし､毎回跡形もなく水辺へと姿を消す&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●南アフリカ→フラミンゴ&lt;br/&gt;噛むことをせず､相手を飲み込むことばかり考えて失敗する&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●スロバキア→イボイノシシ&lt;br/&gt;お金を支払ってまで見る価値はない｡ただし､ある程度の殺傷能力は持っている&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;●フランス→チーター&lt;br/&gt;見えない速さで手を使う(ﾁｰﾄ)｡これ以上､説明の必要はないだろう&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/284092468</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/284092468</guid><pubDate>Mon, 14 Dec 2009 22:28:59 -0500</pubDate></item><item><title>自己否定による自己実現</title><description>&lt;p&gt;ttp://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2009/12/post-8f93.html&lt;br/&gt;ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091022/207856/&lt;br/&gt;＜良心＝常識＝掟＝制約＞&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;掟とは「城」であり「訴訟」であることに気づく。良心、という言葉に置き換えてもいい。ただ、良心、というと道徳的だとか誠実さといった意味が伴ってくるが、そういう道徳性を抜いた、規範的なもの。善悪やら道徳を超えたところで、自分を律しているものだと考えてほしい。「掟」とは、いわゆるルールだとか法といった外的なものではなく、自分は「これだけだ」と認める限界のようなものなのだ&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;たとえば、身体的な能力で喩えるならば、ジャンプで届く（だろうと自認する）高さや、ダッシュで間に合う距離感が、これにあたる。精神的なものだと、やっていい（と自分で思っている）ことの限界が、これにあたる。正当防衛・緊急避難だと（自分で）判断している行為がその例だ。そして、人は日常において、自分でやれると見積もった能力や、自分でやってもいいと判断した範囲で行動を選択する。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　しかし、理不尽な状況に放り込まれたら、どうする？「城」が呼びつけたにもかかわらず、中へ入れてもらえない状況や、「訴訟」されているにもかかわらず、その理由を教えてくれない状況になったら？当然、「やれる能力」や「やってもいい範囲」を拡張しようとするだろう。&lt;b&gt;もし、自分の良心そのものを疑い、問いかけることをしなかったならば、ただただ待ち続け朽ち果てる&lt;/b&gt;だろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　あるいは、自分の限界を疑い、それを超えようとしなければ、その前で終わってしまっていただろう。しかし、カフカの描く主人公は、無為に待つようなことはしない。積極的に行動し、良心を、能力を、法を超えようとする。自分の外側に存在する、物理的な「門」を破ろうとする前に、まず、それをやってもいい（仕方がない）と自分の内側で律しているものを解除しなければならないのだ。&lt;b&gt;あたしのココロ、解錠（アンロック）&lt;/b&gt;というやつ。ただし、キャラなりするのであれば、「いままでのわたし」から変わる必要がある。「城」であれば、測量士としての立場を、「訴訟」であれば銀行家としての地位から離れなければならない。だが、「何」に成るのだろうか？測量士や銀行家&lt;b&gt;でない&lt;/b&gt;立場になるんだ。日奈森あむの「なりたいアタシ！」へのキャラチェンジとは違うのだ。&lt;b&gt;自己否定による自己実現&lt;/b&gt;なのだから。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　&lt;b&gt;理不尽な状況から脱するために解錠（アンロック）しようとしたのに、今度は解錠（アンロック）することによって、理不尽だーと思っていた立場（測量士や銀行家）がなくなってしまう。じゃぁもう理不尽じゃない&lt;/b&gt;じゃん。解錠（アンロック）そのものが条理（=地）を越えた不条理（=図）なのだから。地と図の反転は、ここでも見つかる&lt;b&gt;。「城の中に入る」「訴訟を止めさせる」目的のために取った手段が、その目的の前提を取り消している&lt;/b&gt;のだから。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自分で自分の「立場をなくす」――それも、かなり後ろ向きの理由で。自分を「否定」することによってなされる自己実現（なんという矛盾！）。現在の○○の状況（○○にはお好きな言葉をどうぞ）と似合っており、独り、深夜、ほくそ笑む&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この自己否定による自己実現というのは、親父の世代によく言われていた言葉。まだ40前であろうdainさんが自力でこの言葉にたどり着くその思考の過程がすごい。これは「獣の奏者エリン完結編」における最重要テーマ（あるいは「ハンターハンター」のゴン）であって、こちらでは非常にわかりやすく描かれている。ただし私がそれを理解することがが可能だったのは、エリンの特殊な生い立ちゆえにである。それまで普通の青年として描かれていた主人公が「不条理（笑）」に巻き込まれた話から見いだせるかというと私には難しいと思う。さすがだ。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/281688540</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/281688540</guid><pubDate>Sun, 13 Dec 2009 09:16:42 -0500</pubDate></item><item><title>凡人が天才に勝つ方法　とその注意書き</title><description>&lt;p&gt;ttp://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20091205/p2&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;凡人でも、最初から、高いステージに能力を持って現れる天才に、勝つ方法が一つあります。それは、&lt;b&gt;自分が今いるステージで、「出来ること」を淡々とやり続けることこれ「のみ」です&lt;/b&gt;。人生には、その「時」にふさわしい努力があります。そして、その努力の方向や処方は、自分で大体分かるはずなんです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;まず形から入れ！（＝憧れの思いは消すな！）&lt;br/&gt;憧れは、ばかばかしくても小さな模倣から入れ！&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;「そのステージ」で必要な苦悩と行動を「蓄積」した人には、次のステージに向かうためのある種のinvitaition letterが訪れる&lt;/b&gt;。これがアンテナや憧れという「次のステージへの模索」がない人には、これが、「招待状」だということが分からなくなって停滞してしまうんです。この招待状に気づくためにＶＩＳＩＯＮがあるんですよ。願いがあれば叶うのではなくて、目の前の必要な、自分のレベルに合った努力を極限までやりつくした人だけに、次の招待状が届き、、、その届いたときにそれが「チャンスなんだ！」「これが勝利の女神の前髪なんだ！」と気付く機会を与えてもらえるんです。ＶＩＳＩＯＮの必要性とはそういうもの&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;注意書き&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;とはいえ、「目の前のことだけ」をやっている人には、ある種の無気力が訪れます。「それはどんなに頑張ってもそのステージより先がイメージできない」という、このまま永遠に「今が続いていく無気力感」です。&lt;br/&gt;とにかく、「&lt;b&gt;目の前のことをやり続けていくと」、やりきった感が出て、「飽きてく&lt;/b&gt;るんですよ」。でもそうすると停滞して、やめてしまうんですね。でも僕には、いずみのさんや、ＬＤさんや、海燕さんなどの、このメディアを使って人生をいろんな形でエンターテイメントする先達たちがいました。いや簡単ですよ、ああいう風になりたいなーと思っていると、いろんなチャンスが訪れるんです。&lt;br/&gt;いま思い返しても、ステージが変わるような出来事のきっかけは、「偶然」としてとしか思えません。けど、それは「必然」のように自己認識としても思えます。それは、&lt;b&gt;自分のステージでやりきることをやりきって、アンテナを伸ばして、海燕さんとか自分より先にいる人たちの状況を何となく考えて、「ああいう風に楽しそうだと羨ましいなーというあこがれの気持ちがあった」&lt;/b&gt;あったらなんです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;——&lt;br/&gt;&lt;おまけ　：後続が示すべきは「開発力」である・・・か？&gt;&lt;br/&gt;父親自身に同化できない（＝同じ道を歩めない）」という問題設定に対して、「異なる道で同じものを追求する」ことにより、父親が越えられなかったものを、、、、「超えるのではなく」、父親とともに越えていく・・・つまりは、最後には、父親と横に並ぶものになる・・・という成長の本質の本質が、描かれていることだと思う。ネギの天才が、開発力だ！という部分にはしびれるってもんじゃない。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/281623116</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/281623116</guid><pubDate>Sun, 13 Dec 2009 07:49:43 -0500</pubDate></item><item><title>成長とは</title><description>&lt;p&gt;ttp://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20091209/p2&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;勝つ、、、とか、成長、、、とか実は間違っている。そこにいる父親も目標の人も天才も、敵なんかじゃないんだ。それは、「同じ目標」を、つまりはこの複雑で正しさが分からない世界で、「それでも善をなし世界を変える」という「生きていく上の最前線（＝フロントランナー）」の同盟者なんだ。&lt;b&gt;成長とは、誰かに勝つことでも追いつくことでもない、、、、、「この世界に生きる」という難しさを知る「最前線」に立つまで（＝ナルシシズムを超える）までをいう&lt;/b&gt;ことなんだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;最前線に立ったら、もう人は何も悩まないはずだ。それは、マクロの使命を知るということ。たとえ、自分がわき役であってもかまわないはずだ、、、この世界に「為すに足るものの最前線」に立てるのならば、きっと、喜んで自己犠牲をできるはずなんだ。そこで本当に大事なものは、「自分」ではなく、「自分の信じたものと仲間と共有すること」だから。&lt;b&gt;仲間というのは、共同体の仲良しクラブではなく、、、「この世界の最前線の過酷さを解決する」ことを共有する同盟者だけ&lt;/b&gt;を、きっと仲間と呼ぶ、、、。最前線に立てば、おのずと自分の役割と使命が分かるはずなんだ&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;それがわらないやつは、きっといつまでもナルシシズムの折から抜けられない。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/281607402</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/281607402</guid><pubDate>Sun, 13 Dec 2009 07:27:24 -0500</pubDate></item><item><title>曽野綾子の議論力</title><description>&lt;p&gt;改めて読み返すと、「議論のしかた」でインチキ科学の礼として指定されている全ての条件を充たしている。だめな議論、無意味な意見の生きた実例だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;b&gt;１：　自説ありきで、それを証明するという思考パターン＜これが根っこ＞&lt;br/&gt;２：　「だめなものはダメ」理論（「理由がない」のにわかってしまっている）&lt;br/&gt;３：　原因が唯一つであると考える理論（それ以外の条件を無視している）&lt;br/&gt;４：　自分の議論を知らしめることが手段ではなく目的になってしまっている&lt;br/&gt;５：　反証できる例がない限り自説は正しいとする立場（自説については一切責任を果していないのに、相手には立証責任を要求する）&lt;br/&gt;６：　相関関係と因果関係を混同している&lt;br/&gt;７：　論理的が説明できないため、自説を肯定してくれる実例・実験結果・他国の例などを強調する&lt;/b&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;つまり、意見すべきとすれば彼女のイデオロギーではなく、そのインチキ科学者の部分であって、インチキ科学者に公に向かって発言させている産経新聞編集委員のリテラシーの低さor偏ったイデオロギーなわけですね。&lt;br/&gt;議論のしかたでは&lt;b&gt;「インチキ科学者が相手の時、相手の論理ではなく意見そのものを否定しようとすると、あなたもインチキ科学者の仲間入りしてしまう&lt;/b&gt;危険がある。議論のルールを正しく理解して、しかるべき対応をとりましょう」ということです。&lt;br/&gt;私は自分で言うのもなんですが、議論能力が極めて低いため、本を読みながら曽根さんの文章をチェックしていきましょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーー&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;外出時間やスカート丈・・・結果に責任&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;警察が、夜11時以降の公園の立ち入りを禁止するという条例を作ろうとしたら、それは「憲法に違反する」と若者からの突き上げがあった、という。警察は「憲法に違反しません」と言う。警察がこういう防止策を講じようとしたのは、もちろん最近残酷な犯罪が起きているからだろう。もちろん決定的に悪いのは犯人だが、&lt;b&gt;被害者の遺族の気持ちを考慮せずに言えば、最近の日本人は、用心するということをしない。&lt;/b&gt;&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;（全く繋がっていない文章に注目。「犯人が悪い」「日本人は用心することをしない」のつながりの間に被害者の遺族の気持ちを害するものがあるのだろうか。&lt;b&gt;意味不明です。&lt;/b&gt;）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;———————&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;i&gt;大学生がアルバイト先から、暗くて自分でも気味が悪いと思うような夜道を歩いて帰る、ということが本来は常識外なのである。&lt;b&gt;アラブの保守的な国なら&lt;/b&gt;、娘たちは、毎朝父か兄かに送り迎えをされて登校する。１人で外出したり、外国へ旅行したりすることは、考えられない。&lt;b&gt;欧米の国でも&lt;/b&gt;夜道を１人で女性が歩いたりすることは非常識な行動だと、なぜ日本では教えないのだろう。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;（アラブの保守的な国ならと例を挙げておきながら、なぜか次の文では「欧米の国でも」と、今挙げた実例がどっかにすっとんでいる。つまり先の例は無意味です。そして欧米の国でもについては例として何の説明もないので&lt;b&gt;無意味です&lt;/b&gt;。&lt;br/&gt;さらになぜ日本で教えるべきかが書かず、反語表現で「日本でもそのように教えるべきだ」という主張を婉曲に主張しています。本人の中では常識であるため説明がなされていないのでしょうが、理由が示されていない以上&lt;b&gt;無意味です&lt;/b&gt;。）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;———————————&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　&lt;i&gt;今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに１人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前１時過ぎに基地の近くを１人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。&lt;b&gt;それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。&lt;/b&gt;基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界的常識を学ぶことができなくてはならない。&lt;/i&gt;　&lt;i&gt;ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、日本の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。&lt;b&gt;あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。&lt;/b&gt;先日パリのデパートをのぞいたら、果たして最新ファッションが並んでいた。しかし町行く人たちは、保守的で質素な服装ばかりで、私はすこしがっかりしたのだが、「午前中から最新ファッションの人なんかで歩きません。そういう人は夜遅くです」　「ほんとうに最新流行を着こなすお金持ち階級は、車に乗って移動するんです」という２つの返事で納得させられたのである。&lt;/i&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（「例は自分の意見を肯定するために都合よく選ばれているもの」です。逆に言えば、「例は自分の意見が正しいことを示す証拠」ではない。もっといえば、「例を使って何か新しいことを言ってはいけない」「例がなくても自分の意見としてわかってもらえるように書かなければいけない」のが議論のルールです。ところが、この部分では&lt;b&gt;「例」と自説しかない。どこにも理由の説明がない（&lt;/b&gt;&lt;b&gt;例はもちろん理由にはなりません。ただの自説の延長だからです）&lt;/b&gt;これはいわゆる「外国でやっているから日本も」理論であり、議論力がゼロの人の常套句です。そこに一切の理由を示すことが出来ないからです。あるいは「例」が理由になると勘違いしているからです。&lt;b&gt;つまり無意味です&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ーーーーーーーーーーーーーーーーーー &lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　&lt;i&gt;太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;&lt;b&gt;なぜなら&lt;/b&gt;&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;その服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、&lt;b&gt;ほんとうの男女同権&lt;/b&gt;だ。親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて&lt;b&gt;当然だ&lt;/b&gt;。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟のうえでしなさい、と私なら言いそうである。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;極めつけがこの文章。インチキ科学者ですら、最低でも「相関関係」くらいは示すものですが、曽根さんの文章に到ってはソレすらも示されていません。この「なぜなら」が日本語として通用するためには「しているから」ではなく「していると私が勝手に理解しているからだ」と書かなくてはいけません。文章として成り立ちません。&lt;b&gt;無意味です&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;また「ほんとうの男女同権」についても同様です。意見自体が間違いとは言いませんが、「本当の男女同権」が「男女同責を認めること」と定義しておいて、「男女同責を認めることが本当の男女同権」と主張しても、それは自身の定義の確認に過ぎず、読み手には何の説明もしていません。&lt;b&gt;無意味です&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;次の文章も、意見自体が間違いとはいえません。しかし「当然だ」と書くからには理由が必要です。ところがソレが書かれていません。&lt;b&gt;無意味です&lt;/b&gt;。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最後の文章に到っては、主張すらなっていない自分の感情を述べただけです。これについては意見を言うことすら出来ません。「これは私の感情なのだから」といわれておしまいだからです。井戸端会議ならともかく何の意味もありません。&lt;b&gt;無意味です&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;——————————&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;とまぁ他人の意見に対して、その全てが議論としては無意味であるなどと、「お前何様だ」という偉そうな指摘をしてしまいました。もちろん無意味だから悪いということがいいたいのではありません。Twitterの発言は６割が無意味らしいですが、そこに何の価値もないとは誰にもいえないことですし。この文章も読み手によっては、或いは何と言っても書き手にとって大きな意味があるのでしょう。ただ、この無意味な主張に関わる必要はありません。そこに意味を見出すのは個人の自由ですが、他人を巻き込んじゃいけない。というわけで、根っこがあまりにも無意味であることを確認したので、これ以上この話題に関わることは避けます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;・・・それにしても、私もブログで長いこと書いていますが、この人には負けるものの、私も大差ない、無意味な文章ばかり書いています。他の人から見たら、私の意見がこれと大差なく見えるのだとすると、それはとても残念なことです。（気楽ではありますが）　Ｔｗｉｔｔｅｒならともかく、ブログで何かを書く場合は、もう少し意味のある、ちゃんと理由を示した上での主張をすることが必要だと再確認する次第。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/277268476</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/277268476</guid><pubDate>Thu, 10 Dec 2009 02:28:00 -0500</pubDate></item><item><title>ミリグラムの服従の心理実験</title><description>&lt;p&gt;たしかこれ「心理実験はウソだらけ」で見たことがあるが、こう書かれると信じてしまいそうだな・・・&lt;br/&gt;ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091130/210905/?P=3&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;“権威に服従する心理”が本当に存在するのかどうかを調べるために、米国の社会心理学者スタンレー・ミリグラムが興味深い実験を行っているので紹介しよう。ミリグラムは、人間は権威ある他者から要求された時、たとえそれが罪のない他者を傷つける行為や、本来なら行ってはいけないような行為であっても従ってしまうとする理論を検証するため、「学習に及ぼす罰の効果」という表向きの理由で一般被験者の募集を行った。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　集められた一般被験者はもう1人の被験者（本当は実験協力者）とペアになり、教師役（あらかじめ仕組まれたくじによって、一般被験者が教師役になる）と生徒役に分けられた。また、実験を遂行させる命令役がそれぞれのペアに加わっている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　教師役は、生徒役（＝実験協力者）が暗記学習後に答えを間違えるたびに、送電器から電気ショックを送るよう命じられた。送電器は15ボルトから450ボルトまで30段階のスイッチに分けられていて、1つ間違うたびに電気ショックのレベルを上げるよう指示されている（実際には電気は流れないのだが、生徒役＝実験協力者は電気ショックが与えられるたびに悲鳴を上げたり、抗議をするなどの演技を行う）。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　実験は、電気ショックという罰に苦しむ生徒役の声を聞き、「もう止めましょう」と教師役が訴えた時点で終了するというルールが決められた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ここでポイントとなるのが、教師役の隣に座る命令役である。教師役が「電気ショックを与えるのを止めていいですか？」と中断を申し出ると、命令役は「お続けください」「続けることが絶対に必要です」「迷うことはありません。続けるべきです」「罰の効果を見る実験なのですから、続けなくてはなりません」などと強硬な態度で教師役に心理的プレッシャーをかけ続けた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　すると、教師役となった一般被験者の62.5％が、途中で実験を中断することなく、最大の450ボルトになるまで電気ショックを与え続けたのである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　悪いことだと思いながらも、権力（＝命令役）に服従してしまうのは、「自分はちゃんと命令通りやっている」という満足感のほうが、「生徒を痛い目にあわせている」という罪悪感を上回るからだとされている。そして、時間の経過とともに、「自分は言われる通りにきちんとやっているのだから、最終責任は命令を出している命令者だ」と責任回避を行う“代理状態のマシン”に陥る。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　さらに恐ろしいことに、ひとたびこの状態に陥ると、命令を下す権威者だけに敏感に意思が向くようになり、非人道的なことをやっていても、「自分は命令に従っているだけだから、悪くない」と自分の正当化が強まっていく。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/274296221</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/274296221</guid><pubDate>Tue, 08 Dec 2009 00:59:07 -0500</pubDate></item><item><title>「クリスタルボール」についての注意事項</title><description>&lt;p&gt;ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091204/211106/&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;★&lt;b&gt;日本の店舗にはもともとバックヤードがない&lt;/b&gt;。在庫を置くスペースがないため、始めから調達はJITで、その行き過ぎによる弊害の方が近年では顕著。JITの強化よりもむしろ、納品頻度を抑制して、リードタイムにも余裕を持たせた方が全体最適化に資する可能性が高い。&lt;b&gt;在庫リスクも日本では当初からメーカーが背負ってきた。&lt;/b&gt;店頭で売れ残りが発生しても、メーカーが返品を受け入れることで、実質的に小売りのリスクを肩代わりしてきた。 &lt;b&gt;その負担は結局、商品価格に転嫁されている。&lt;/b&gt;そのため有力小売業は現在、売れ残りのリスクを自分で負って商品を買い取る代わりに、仕入れ値を下げるという方向に歩を進めている。 &lt;b&gt;流通業にJITを導入するという施策は、欧米では適切な処方箋になりえても、日本では周回遅れの議論&lt;/b&gt;になってしまう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;需要予測システムも、使いものにならないと切り捨ててしまうのは早計だ。 花王は独自の理論に基づく需要予測システムを構築することで、在庫削減と欠品率の改善という、本来であればトレードオフの関係にある課題を両立させることに成功している。&lt;br/&gt; もともとは同社も、トヨタ自動車の「かんばん方式」にならって、売れた分だけ供給するという発想でサプライチェーンを管理しようと考えていた。しかし、同社の製品をはじめスーパーの店頭で販売されているような一般消費財は、今も大量生産が原則だ。売れた分だけ生産する“1個流し”は適用できない。生産ロットを小さくし、ラインの段取り替えを改善するにも限界がある。また、また、かんばん方式をうまく機能させるためには需要をコントロールして平準化する必要がある。実際、トヨタやコンピュータメーカーの米デルなどは、&lt;b&gt;販売活動や値引率の調整によって売れ行きの平準化を図っている。そうした取り組みなしに、日々の最終需要の変動に上流工程を無理やり同期化しようとすれば、サプライチェーンの最も弱い部分にしわ寄せが集中してしまう&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし、系列ディーラーやダイレクト販売ではない、小売店相手の一般消費財メーカーが、最終需要をコントロールするのは容易ではない。もともと&lt;b&gt;一般消費財は季節性や日々の需要変動が大きいうえ、商品の代替が効くために品切れが許されない。売れ行きを起点にしたPULL（プル）型のSCM（サプライ・チェーン・マネジメント）ではうまく機能しなかった&lt;/b&gt;。そこで花王はトヨタ方式ともデル・モデルとも違う、「花王方式」とも呼ぶべきサプライチェーンの構築に取り組んだ。一般消費財の在庫管理は、&lt;b&gt;同じ商品の在庫でもサプライチェーンの川下と川上で管理のポイントが違ってくる&lt;/b&gt;。それを具体的なビジネスモデルに落とし込んだ。末端の店頭在庫と、店頭に商品を補充する物流センターの在庫は、何より欠品を起こさないことが重要だ。そのため売れた分だけ仕入れるPULL型で管理する。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;■在庫削減と欠品率の改善は両立する&lt;br/&gt;一方、物流センターの上流に位置する&lt;b&gt;工場は、調達や生産設備の制約が大きいためPULL型が適用できない。しかも工場では欠品の防止と並んでムダな在庫を作らないことがテーマ&lt;/b&gt;になる。それまで同社では工場の生産計画を、営業部門が月次で立てた販売計画をベースに作成していた。販売計画には担当者の思惑や努力目標が入り込むため、生産量は実際の販売量より上振れする傾向にあった。精度が高く、説得力のあるロジックに基づいた需要予測システムを構築することで、この仕組みを改めた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　いくら過去の実績データを分析しても、個別の店舗の売り上げを高い精度で予測する方法は見つからなかった。しかし、同社が全国20カ所余りに設置する&lt;b&gt;在庫拠点単位の出荷量は、アイテム別の日々の変動や季節変動が、一定の幅に収まっている&lt;/b&gt;ことが分かった。&lt;b&gt;新製品の初期出荷や生産終了を控えた製品の出荷トレンドにも一定の法則が見つかった&lt;/b&gt;。これらの発見を基に独自に開発したアルゴリズムで需要を予測し、生産計画に適用した。その結果、同社の在庫量は大きく削減され、同時に欠品率は飛躍的に改善した。店頭の売れ行きではなく、在庫拠点の出荷動向をベースに予測を立て、それにサプライチェーンの上流工程を同期化させたことで、花王は全体最適化を実現した。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;SCMの課題や制約は、商品や市場によって全く異なる。欧米市場の手法をそのまま日本市場に持ち込んだり、他産業の真似したりしても期待したような成果は上がらない。一般理論や手法を学ぶことはもちろん大事だが、それを自分のビジネスに落とし込むやり方は、自分で智恵を絞るしかない。外部の意見を鵜呑みにすれば、高い代償を支払わされることになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;—————-&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;クリスタルボールの素晴らしいところは「ノウハウ」の部分じゃない。日本に即したノウハウという意味ではむしろ「ラスト・ワン・マイル」の方が面白い。「偶然生じた成果をどう理論付けしていくか」という思考プロセスと「どうやって人を動かしていくか」という交渉テクニックのドラマ部分にあると思う。特に「ザ・ゴール２」の思考プロセスは何回読んでも使いこなせないので、もう一回読み直してまとめてみたい&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/274236412</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/274236412</guid><pubDate>Tue, 08 Dec 2009 00:09:48 -0500</pubDate></item><item><title>アマチュアは、できる限り楽しさを第一優先にしようよ</title><description>&lt;p&gt;ttp://d.hatena.ne.jp/toward-end/20080514/1210753921&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;結局、新ジャンルだからといって、先行ジャンルの知識不要で語っていいか、というと、必ずしもそうではないんですよ。どんなジャンルも、人間の知識の営みである限り、単独で生まれはしません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そう。全ての知識はつながっている。知ってれば知ってるだけ面白いが、だからといって、別に全部つなげる必要はない。それだけのこと。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;先行するジャンルについての言及が、必ずあるべきだ、というのは、押しつけです。一方で、過去は全部切り捨てる！、というのも、悲しい話です。●●とＳＦを絡めることもできる。●●と８０年代ジャンプを絡めることもできる。●●と滝沢馬琴をからめることもできる。●●とディケンズを絡めることもできる。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;&lt;b&gt;&lt;i&gt;要は、●●とＳＦを絡めて、面白い話、面白いと思わせる話が出来るかどうかが重要なのであって。それを聞いて、お、そんなに面白いなら、俺もＳＦを読まなきゃ、とか思わせられるかが重要なのであって。「ＳＦも読まずに●●を語るなバカ！」という人がいたとしたら、それだけ面白い論考を書けない老害の繰り言ではないかと思うのです。勉強不足！とか言う前に、勉強したくなるような面白さについて語ろうぜ。&lt;/i&gt;&lt;/b&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一方で、過去との断絶ばかり強調するのも、自分の無知を開き直りにするようで、よろしくない。新しい知識が過去の財産に成り立っていることを知って、謙虚に語ろうという姿勢も必要でしょう。アマチュアなら、それくらいでいいと思います。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/272928803</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/272928803</guid><pubDate>Mon, 07 Dec 2009 02:45:43 -0500</pubDate></item><item><title>「近頃の若い者は」のメカニズム</title><description>&lt;p&gt;「近頃の若い者」は、という言葉は「ライフサイクル」を理解している人間からは出ないものだと思う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50285359.html&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;「面白い」が挨拶から消える頃には、業界も安定期に入る。すでに仕事の作法は定型化され、第ゼロ世代は引退して彼らの居場所は伝説と教科書の中だけとなり、第一世代がそれ移行の世代を「使う」時代が到来する。業界としての報酬相場も定まっているので第二世代以降は「より安心して働ける」ようになる一方。彼らが一攫千金を手にする機会はもはやほとんど「食いつぶされて」いる。&lt;br/&gt;仕事の作法も試行錯誤から漸進的変化へと移行し、「研究」が「教育」へと変わり、仕事を覚えやすくなった反面、退屈にもなる。そして減った心理的報酬を埋め合わすがごとく、金銭的報酬が人を動かす力となって行く。&lt;b&gt;第ゼロ世代は、教育者として尊敬もされそして業界に落ちる莫大な資金のおこぼれにある程度預かる事はできるが、最も多くの金銭的報酬を受け取るのはたいていの場合その次の世代&lt;/b&gt;。皮肉にも、業界としての総力のピークは、この最後の段階の入口ぐらいにあるように思える。もはや全身全霊をかけて仕事に没頭する必要はない。面白い仕事より楽な仕事がしたい。そう&lt;b&gt;「業界人」が昔を懐かしむ頃、「業界外」での業界に対する評価は頂点に達する&lt;/b&gt;。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;この辺りのミスマッチが問題なんだろな。ついでに言うと、そこから先の下り坂になってから「近頃の若い者は」というやつは、単なる空気読めてない老害なのだろう。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/268749267</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/268749267</guid><pubDate>Fri, 04 Dec 2009 01:46:13 -0500</pubDate></item><item><title>ttp://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2009/12/2009-2aa0.htmlいわゆる文学全集だけ読んで、「めぼしいやつは読んだ」と、うそぶく度胸は無い。あるいは、...</title><description>&lt;p&gt;ttp://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2009/12/2009-2aa0.html&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いわゆる文学全集だけ読んで、「めぼしいやつは読んだ」と、うそぶく度胸は無い。あるいは、小説ばっかり読んでるくせに「食わず嫌いはしてません」なんて言うほど顔面厚くない。あるいは、古典だけ大深度まで掘り読んで、他はカスだと放言する肝もない。ジャンルや垣根は、読み手が自分の内側に作り上げてしまうもの。自分で区切ってしまうのは、もったいないし、かなしい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　わたし自身、そうした「読み」をしてきた。井の中の天狗になって、狭い世界で喜んで満足していた。&lt;b&gt;そこ&lt;/b&gt;が世界全部だと、本気で信じていた（痛たたたた、痛すぎる）。そんなわたしにとって、ときには優しく、あるいは嘲笑しながらオススメを知らせてくれる「あなた」は、たいへん貴重だ。親切にもコメント欄で教えてくれる方から、（本人は陰口のつもりで）某掲示板で叩いている人まで、参考になった。わたしがいかに読んでいないか、読むべきスゴ本がたくさんあるか、思い知らせてくれた「あなた」には、どんなに感謝してもし足りないくらい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　自分がハマっていた場所が「狭い世界」だと気づくためには、居場所の「外側」に出なければならない。そのために、ここでレビューを書く。このblogは「外側」への扉であり、「あなた」を探すポータルになっているのだから。わたし一人が探せる本なんて、タカが知れてる。だから、あなたを探す。偏っていようとも、煽られようとも、「それがスゴいなら、コレなんてどう？」とオススメしてくれる、結節点ともなる「あなた」を。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/265554134</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/265554134</guid><pubDate>Tue, 01 Dec 2009 20:09:12 -0500</pubDate></item><item><title>岩国うんぬんとかの話よりこっちの意見のが面白かった。&gt; 日本からは、 &gt; ①住友グループ各社の幹部 &gt; ②東京電力会長、勝俣恒久をはじめとした財界人、 &gt;...</title><description>&lt;p&gt;岩国うんぬんとかの話よりこっちの意見のが面白かった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&gt; 日本からは、 &lt;br/&gt;&gt; ①住友グループ各社の幹部 &lt;br/&gt;&gt; ②東京電力会長、勝俣恒久をはじめとした財界人、 &lt;br/&gt;&gt; ③また政界からも日本・UAE（アラブ首長国連邦）友好議員連盟会長を務めるなど中東諸国とパイプの太い前総理、&lt;b&gt;福田康夫&lt;/b&gt;、 &lt;br/&gt;&gt; ④自民党の前衆議院議長、&lt;b&gt;河野洋平&lt;/b&gt; &lt;br/&gt;&gt; &lt;br/&gt;&gt; ⑤そして、政府特使として前民主党衆議院議員、岩國哲人 &lt;br/&gt;&gt; らが参列した。 &lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;b&gt;福田康夫はいただろ。あと、河野元外務大臣も。&lt;/b&gt; &lt;br/&gt;&lt;b&gt;そんなことより明らかに、住友グループの失態だね。&lt;/b&gt; 自民党から大物政治家呼べるほど利権ズブズブでした(笑) って告白してるようなもんだろｗ 権力もなく金にもならない当時の野党・民主党とは、先見の明もなく何の関係も築いてません。 「うわ政権交代ﾔﾍﾞｴｗｗｗ。（広告費たくさん払ってる）日経さんミンスを叩いておいてよ」 って感じかな　＞　住友Gの上層部(笑)&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;———————————&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、福田は政権党じゃないから、岩国が首相特使になっただけだろ。あと、当日は、原発を売り込むような雰囲気じゃなかっただろ。 石油化学プラントの竣工式だぞ？ 日立や東芝なんか、そもそも呼ばれてもいないだろ。 &lt;b&gt;アブドラ国王からしたら、別に日本側の参加者がどうのこうのじゃない。前日に起きたイエメン国境紛争を危惧して、当日の参加を取りやめただけ。&lt;/b&gt;しかも、完工式ってサウジ国営石油と住友化学の合弁でしょ。 そんな準民間案件に、いちいち国王は顔を出さないっちゅーの。 &lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この意見についての反証が欲しい。そもそも参加予定だったのか？それとも日経の記者が「日本からは首脳陣がいってるんだから国王は来て当たり前」と勘違いしてただけか？日経の記者の記事はストーリが出来上がりすぎていて、どうも情報として判断がむずかしい。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/264424889</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/264424889</guid><pubDate>Mon, 30 Nov 2009 23:22:26 -0500</pubDate></item><item><title>ＳＣＭの歴史</title><description>&lt;p&gt;ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091126/210684/?P=2&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;SCMという言葉ができるまで、米国には日本の「流通」にピッタリ当てはまる言葉がなかった。　「ディストリビューション（Distribution）」という言葉はあるが、これは「物流」や「配貨」など、モノの動きに焦点が当てられていて、日本語の「流通」のように商品が消費者の手に渡るまでのすべての活動を指すほどの広がりはない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ちなみに日本語の卸売業者を示す言葉が、米国には3つある。ディストリビューターのほか、ホールセラーとブローカーで、それぞれ役割が違う。 ホールセラーは自分の責任で仕入れた商品を卸販売する通常の卸。ブローカーは在庫に直接タッチせずに取引の口利き、仲介だけを行う。ディストリビューターは一般に、メーカーや小売りに代わって商品を運ぶ物流をメーンとした中間流通業を指す。そうした各種の卸売業者や、その先にいる小売りとの関係、あるいは調達先のサプライヤーや、その上流の原材料メーカーなど、同じサプライチェーンを構成するほかの会社との役割とリスクの分担方法に米国企業の弱点があった。 安く品質の良い日本製品に国内市場を荒らされた米国の産業界が、日系企業の強さの理由を分析したところ、いわゆる“系列取引”に行き着いた。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日系企業は取引先との場当たり的な駆け引きより、長期安定的な関係を重視する傾向にあった。製品開発やコスト削減にも取引先と協力して取り組んでいた。 また日系企業は米系企業と比べて内製率が格段に低かった。それだけアウトソーシングが進んでいた。日系企業の強さの秘密は、取引先との関係性にあった。 &lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（中略）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;会社の枠を超えてサプライチェーン全体を管理するという経営コンセプトが生まれ、SCMと名付けられた。その具体的な手法は主に経営学者が開発した。まず社内の業務フローを見直す切り口として、米ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ポーター教授が1985年に「バリューチェーン」を発表した。1990年代に入ると、切り分けたフローを再設計する手法として、米マサチューセッツ工科大学（MIT）教授だったマイケル・ハマー氏によって「BPR（Business Process Reengineering＝業務プロセス見直し）」が提唱された。これと並行して、その会社の競争力の核となっている経営資源「コア・コンピタンス」に焦点を当て、その強みを最大限発揮させるというアプローチの改革手法が、英ロンドン・ビジネス・スクールのゲイリー・ハメル教授と米ミシガン大学のC・K・プラハラード教授によって提起された。その影響から米国の産業界に「コア・コンピタンス経営」が普及した。差異化手段となる業務プロセスに経営資源を集中し、それ以外のプロセスをアウトソーシングし始めた。　その受け皿としてITサービス企業や物流機能の運営管理を一括して請け負う3PL（サードパーティ・ロジスティクス）などのアウトソーサーが台頭し、事業規模を急拡大させていった。また&lt;b&gt;アウトソーシングの結果、社外に出たプロセスを担うパートナー企業とのコラボレーション（協働）が重要になり、「KPI（Key Performance Indicators＝重要業績評価指標）」や「見える化（Visibility）」などの要素技術の開発が進んだ&lt;/b&gt;。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ちなみにSCM関連の資料によく出てくる「QR（Quick Response＝クイックレスポンス）」はアパレル業界、「ECR（Efficient Consumer Response）」はグローサリー業界にSCMを展開したもの。いずれもSCMのバリエーションの1つだ。　つまり一連のキーワードは、“打倒・日系企業”という目的の下に、すべてつながっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;→個人的に、ＫＰＩや見える化は何処から来たのか？というところが興味深かった。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/264344306</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/264344306</guid><pubDate>Mon, 30 Nov 2009 22:24:07 -0500</pubDate></item><item><title>ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2229?page=2湯之上　「なぜ、あなたは、私の言ったことがすべて間違っていると思うのですか？」元社長　「日本半導体の技術力は...</title><description>&lt;p&gt;ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2229?page=2&lt;br/&gt;&lt;i&gt;湯之上　「なぜ、あなたは、私の言ったことがすべて間違っていると思うのですか？」&lt;br/&gt;元社長　「日本半導体の技術力は、実際に高いからだ」&lt;br/&gt;湯之上　「なぜ、そのように判断できるのですか？　どんな証拠があるのですか？」&lt;br/&gt;元社長　「おれの直感だ」&lt;br/&gt;湯之上　「あなたがそのように直感で感じるには、何かの根拠があるはずです。どのような根拠があって、そのような直感を持たれたのですか？」&lt;br/&gt;元社長　「日本の技術は本当に強いからだ」&lt;br/&gt;湯之上　「・・・」&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/264315097</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/264315097</guid><pubDate>Mon, 30 Nov 2009 22:02:59 -0500</pubDate></item><item><title>オタクとして迫害されたくなければキモイ振る舞いをやめろだって？</title><description>&lt;p&gt;そんなファッキンな意見は無知の極みであると断言する。「現状不可能なこと」を提案して何かをいったつもりなのだとしたら、それはただのバカだ。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ttp://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20091127/210778/&lt;br/&gt;&lt;i&gt;現在の「もみじマーク」は、高齢者にあまり評判が良くない。だから、「高齢者が誇りを持って自らの意思で表示したくなるデザイン」を考案しようということのようだ。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;デザインの問題なのだろうか。&lt;br/&gt;　&lt;br/&gt;スタイリッシュなマーク（←思いつかないが）が考案されたら、高齢のドライバーもすすんで表示する、と、そういう展開になるようには、私には到底思えない。ギンギンだったりアゲアゲだったりイケイケだったりするデザインは、標識を掲示している主体が高齢者であることを表現していないし、また、速そうだったり俊敏だったりするデザインは、そもそも保護義務の主旨を裏切ることになる。ということはつまり、もみじマークは、どこかしら年寄りくさくてノロマっぽい尻尾をひきずっていないと正しく機能しないわけで、とすれば、&lt;b&gt;これらの属性と「誇りを持って掲示できるような」デザインは、両立しない&lt;/b&gt;。当然だ。&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;—-(中略)———&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「隠れてばっかで堂堂としていないから」とか「オタクと呼ばれて傷つきましたなんて情け内」という意見もかなりバカっぽい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;弱者が保護されるべきだというのは、考え方としては素晴らしい。が、路上は、弱肉強食の原則で動いている。弱みを見せたら、弱みにつけ込まれる。そういう場所で、自分が弱者である旨を表示することは、一種の自殺行為だ。私自身、軽自動車に乗っていた時代があるだけに、このことは身にしみている。交通弱者は、迫害される。これは路上のルール。ストリートの鉄則だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;クルマは、運転者の「意思」と「運動能力」をダイレクトに表現している。のみならず、クルマは、ドライバーの「資産」と「美意識」と「趣味」をも代表している。とすれば、&lt;b&gt;こんなにもモロに人格そのものであるマシンに、わざわざ屋上屋の標識を貼り付ける意味は無い&lt;/b&gt;。&lt;/i&gt; &lt;!--googleoff: index--&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;「創作」の世界は自殺志願者の集まりだからいいとして、&lt;br/&gt;表現とか意思表示の段階でそこまで厳しいことになるのが、良いセカイなわけないだろに。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;————————&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;結論は最初からわかりきっていて&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;i&gt;&lt;b&gt;しばらく並走（あるいは追走）していれば&lt;/b&gt;、隣の（あるいは前の）クルマの運転手がどんな人間であるのかなんてことは、年齢学歴資産知能指数から挙動性格消費性向まで、ほとんどすべて丸わかり&lt;/i&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;コレができないなら、最初から関わるなよ、とね。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/262888833</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/262888833</guid><pubDate>Sun, 29 Nov 2009 21:29:36 -0500</pubDate></item><item><title>雇用を取るかデフレ防止を採るか</title><description>&lt;p&gt;[JMM559Sa]&lt;br/&gt;■アメリカの物価が低下していない理由&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;b&gt;消費者物価指数（ＣＰＩ）&lt;/b&gt;というデータがありますが、最新の２００９年１０月時点での統計では、年率換算では全平均でマイナス０．２％、ただし物価を下方に引っぱったのは食料品とエネルギーであることから、この二つを除いた全平均では、&lt;b&gt;年率換算でプラス１．７％&lt;/b&gt;となっています。ちなみに、エネルギーはリーマンショックがきっかけとなった原油価格下落を受けて年率換算でマイナス１４．０％、このエネルギー下落を反映して食料品も下がっているのですが、こちらの下げ幅はマイナス０．６％と僅かです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;アメリカの場合に特徴として指摘できるのは、&lt;b&gt;人件費が価格決定の大きな要因となる★サービス業の価格が安定していることです。&lt;/b&gt;同じ今年１０月のＣＰＩデータでも、エネルギー関係を除いたサービス業の物価は、年率換算でプラス１．５％と上昇しています。中でも運輸サービスは２．７％上昇、医療関係のサービス物価は３．２％上昇。労働コスト指数（ＥＣＩ）の２００９年１０月のデータを見てみますと、民間企業の場合に、労働コストが過去１２カ月にどう変化したかというと、営業と事務職では年率０．８％上昇、サービス業では２．１％上昇しています。つまり、リーマンショック後のアメリカの民間企業では、賃上げが行われている&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;■給料は下げない。その代わりに給料に見合わない働きの人は切る&lt;br/&gt;２００９年の第三四半期には&lt;b&gt;農業以外の民間セクターの生産性は、年率換算で９．５％も拡大&lt;/b&gt;しているというのです。賃金は微増、生産性は向上、アウトプットされる商品サービスの物価は下落せず。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;アメリカの場合、経済の不況は失業という形で表れています。売り上げが下がってきた業種では、組織や事業所をリストラし、その結果としてそこで勤務している従業員も解雇してしまうのです。ですが、残った組織や人に関して言えば、生産性は向上するし、残った人の給与は若干でも上昇させる、更には、その結果としての商品サービスの値段は下げない、という形で不況が進行している。ですから、雇用が問題になるのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;仕事のある人の賃金も生産性も崩れていない代わりに、膨大な失業者を出しているというのは不健全です。特に貧困層の失業に関しては、失業給付に、フードスタンプ（食料品の生活保護）、住宅補助などの公的なセーフティネット、そして宗教団体や市民団体の「炊き出し」といった民間の相互扶助が機能しており、餓死者の発生は避けられていると思いますが、膨大な人口が労働参加できずに自尊心も折られてしまっている事態は異常です。&lt;br/&gt;ですが、&lt;b&gt;とりあえず労働者の「賃金単価が切り下げられていない」こと、そして「生産性の向上が続いている&lt;/b&gt;こと」、消費者が不況下でも下落しない物価にガマンして「必要な消費をしていること」の三点は、事実だと思います。そして、この三つが「デフレ・スパイラル」を食い止めている&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;＝アメリカの場合における失業率と日本における失業率は意味合いが全く違う。&lt;br/&gt;　日本は雇用を守るためにいろんなものを犠牲にしているにもかかわらず&lt;br/&gt;　それでも雇用を維持できない。しかもセーフティネットを企業に押し付けて&lt;br/&gt;　サボってきた国は、いまだに相互扶助の仕組みがない。&lt;br/&gt;　金持ちが名乗り出るのが得になってないから。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;（１）賃金単価は何によってきまっているか&lt;br/&gt;「賃金単価が切り下げられていない」ということですが、三つの要因から成り立っているように思います。一つは、労働市場がフレキシブルなので、まず需給関係によって賃金が決まるという点です。需要の少ない職種からは労働者が他の職種に移動しますし、地域の移動も起きますから結果的に著しく低い賃金というのは存在しにくいのです。また&lt;b&gt;年齢差別がないことから、スキルの学び直しをすれば需要のある労働市場に移行できるという構造があります&lt;/b&gt;。更に、&lt;b&gt;個別の職場や個別の雇用契約において不利益変更がしにくいという慣行&lt;/b&gt;があります。特に残業のつく一般職（ノン・エグゼンプト）の場合は組合の有無に関わらず、法律と労働慣行で保護されている&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;（２）雇用の維持の為には生産性の低下または需要の創出が必要&lt;br/&gt;「生産性の向上」については、ＩＴなどの技術を導入した際に、明らかに生産性がアップするようなマネジメントが行われているということがあります。&lt;b&gt;ＩＴ化によってコスト増になるような「失敗」はしないという意識&lt;/b&gt;は官民共に定着しているように思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;br/&gt;（３）必要消費財がデフレになるのは、小売の競争が激しすぎるから？&lt;br/&gt;「必要な消費をしている」背景としては、核家族のカルチャーが確立しているために子育ての経費や、家庭を維持する衣食住のコストなどが消費に結びついているというのが一点、そして労働時間が長すぎないために、余暇産業の消費が堅調なものになっているということがあります&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;■「貧困の輸出」してる国を正当化は出来ないけれども&lt;br/&gt;モノの価格下落は全部生産地に押しつけている、つまり途上国にアウトソースすることで「貧困の輸出」をしているという批判が可能でしょう。また、貿易収支の赤字を金融収支で埋めるという「アメリカの不健全なキャッシュフロー構造」も問題にしてゆくべきだと思います。&lt;/p&gt;</description><link>http://simatomoki.tumblr.com/post/262823404</link><guid>http://simatomoki.tumblr.com/post/262823404</guid><pubDate>Sun, 29 Nov 2009 20:42:21 -0500</pubDate></item></channel></rss>
